森 洋子
私がバプテスマを受けたのは、高校三年の時だった。そのときに、何故バプテスマを受けるに至ったかは以前集会でお話ししたので、今回は短大に入学してからのことを書きたいと思う。私が短大に入学したのは、丁度一年前、2007年の4月だ。その時、私はすでに24歳で、同級の友達は大体が大学を卒業して、働き始めていた。よく、「何故また短大に入ったの?」と聞かれるのだが、たいした理由はなかった。2006年は一年間、就職活動をしたが、高校卒業資格しかなかったため、なかなか仕事が見つからなかった。そんな中、高校卒業時の進路希望の一つに、保育士を希望していたことを思い出した。どんなに就職活動をしたところで仕事が得られないのであれば、この際短大にでも入って資格を身につけるのもいいかもしれない、という単純な理由だった。それから学校選びが始まったが、ここで私は条件を設定した。ミッション系(キリスト教系)の学校であることと、自宅から通える距離であること。この二つである。ミッション系にこだわったのは、私自身がクリスチャンとしての成長を望んだからである。学生として生活する中で聖書に少しでも触れるチャンスを得たい、という気持ちからだった。自宅から通える距離である理由は、自宅から通える距離にある集会を出る時期ではまだないと考えていたからである。そこでいくつかの学校に絞られたが、結局私が選んだのは和泉短期大学だった。この大学は私が設定した条件を含め、他に二つ利点があった。まず、最寄り駅が集会のある相模大野であったこと。そして、入試が面接と小論文だけだったことである。高校を卒業してすでに七年が経過している上に、その間一度も勉強らしい勉強をしてこなかったので、学力試験を受ける度胸がなかったとも言える。そういうわけで、私は十月から十一月にかけて和泉短大を受ける決心をした。それからは、神様に祈りながら試験に向けての勉強を始めた。恥ずかしながら、小論文も私は経験がなかったのだ。そうして、私は一般入学試験に挑んだ。
結果を待つ間は落ち着かなかったが、「落ちたら、それは神様の御心だ」と言い聞かせ、結果を待った。結果は補欠合格であった。はっきりとした白ではなかったが、白寄りの灰色だった。この結果に母と二人で「一生懸命に頑張らなければならないという事だね」と話し合った。
こうして、私は和泉短期大学に無事入学することができた。
入学して二ヶ月ほどは学校生活自体が忙しく大変でもあったが、六月、大学内の?クリスチャン同士の祈り会を作り、活動できるようになったり、キリスト者学生会KGK
(Kirisutosha Gakusei Kai: 今年で60周年を迎える学生伝道団体)に出席することもできた。今まで、集会やキャンプ以外でのクリスチャン友達が居なかった私に、これらの会への参加、活動を通してとても嬉しい出会いが得られた。今思っても、この大学への入学のタイミングは、神様が供えてくださったものなのだと思う。そうでなければ、私は祈り会に参加することも、KGKに参加することもできなかったと思うからだ。
「時がある」と聖書に書かれている。それを、私は短大入学で実感した。何事にも時があり、「その時」に叶った事こそ実り多いものになるのだろう。まだ、一年、学生生活は残っているが、この一年も精一杯、努力していきたいと思っている。
「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(伝道者の書 3章1,11節)
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