アントニオ猪木と北朝鮮

私の北朝鮮外交 すべてを語ろう 日本の外交力は非常に弱体化している。

アントニオ猪木


わたしの体はもうボロボロだ。特に足の親指の神経が痛んで、そり返す力が出ない。だから歩くとつんのめる。 リハビリをしているが、いつも「もういい」という自分と、「いや待て、立ち上がれ」という自分との闘いだ。古 希の時、祝いの会で挨拶をしたんだが、冒頭で「今日お集りのみなさんにこんなに祝ってもらってありがたい。 それ以上に喜んでいるのは私自身の体です。なんでかといえば、あっちもこっちもコキコキってなっていますか ら」と話したら結構ウケたね。転ぶのが嫌だから、歩くときは杖を使 っている。もちろん色は赤。この杖をついて歩いていると若い子から「ああ、ステッキ」って言われるんだ(笑)。 車椅子もよく使う。「車椅子はやめた方がいい」と言われることもあるが、別にどうってことはない。見栄を張っ ても仕方がないからね。しかし七十六歳になり、足だけでなく、いろいろな病を抱えて、体がもたない。もとも と一期で終えるつもりだった。引退しても未練はないよ。
6 月 30 日、アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員⾧が板門店で会談した。トランプ大統領が南北軍 事境界線を越えたのはまさに歴史的な瞬間だった。私もイベント屋の一人だから、どうしてもその視点で見てし まうけれども、あれはすばらしい「興行」だったね。北朝鮮に暗いイメージを持つ人は多い。しかし大規模なマ スゲームを見ればわかるように、本来、派手好き。トランプ大統領にも人を驚かすのが好きな一面が見てとれる。 今回の電撃会談が実現したのは、二人の性格にこんな共通点があったことも要因の一つかもしれない。たとえ世 紀の大興行だとしても、対立する国のトップがお互い顔を合わせて対話する機会は貴重だし、喜ばしいことだね。


政治は命がけの仕事
現地を訪れてはじめてわかることは多い。イラクに行ったときもそう。1990 年 8 月、イラク軍がクェ ートに侵攻して、クェートに駐在していた邦人 41 人がイラクへ連行され、出国禁止処分を受けた。事実 上の人質となったわけだ。そこで私は現地の状況を自分の目で確かめるべく、イラクへ飛んだ。 イラク政府の要人と会談、バグダッドで「平和の祭典」としてスポーツイベントを開催したらどうか と持ちかけた。このイベントに向けた交渉の途中で、当時のイラク国民議会のサレハ議長に、「(人質の) 奥様たちが来たら、邦人はみな一緒に帰れますかね」と聞いたら、議長は「そうあってほしいですね」 と答えた。この一言だよ。これをどう捉えるか。私は希望を見出した。それで一億円を突っ込んでトルコ 和の祭典」の開催にこぎ着けたわけだ。 このとき政府と外務省は、何の協力もしてくれなかった。私を勇気づけてくれたのは、人質の家族、 特に夫人たちの熱意だけ。それなのに外務省は人質家族の自宅にファックスで送って、猪木の話に乗る なと伝えていたらしい。
しかし結局、平和の祭典の後、人質全員が解放された。外務省はもちろんこの成果に対して、 個人がやったことで国は関係ないという立場を取っていたけど 2016 年に国会で松浪健太衆議院議員
(現・大阪府議会議員)が当時の岸田文雄外務大臣に、改めてどう評価するか見解を質してくれてね、 岸田大臣から「大きな役割を果たしたと評価すべき事例」という答弁を引き出した。評価がほしくて、 活動しているわけじゃない。だけど、イラクでのスポーツ外交の価値を認めるなら、私の北朝鮮外交に 対しても少しは注意を払っていいはずだよ。平和、平和と日本の議員は口にするけど、じゃあ平和のた めに何か行動した奴がいるのかよ、と言いたいね。
北朝鮮労働者を日本に
私がこれまで三十回以上の訪問を重ねてきたのは、日本と北朝鮮との間で話ができる環境づくりをする ため。しかし日本の外務省から私の話を聞きに来たことは一度もない。彼らも北朝鮮労働党幹部の動向 は気になるらしく、あちこち聞き回っているようだ。しかしそんな面倒なことをしなくても、幹部に何度も あっている私に話を聞くのが一番早い。日本が北朝鮮を外交的にシャットアウトして、ドアを閉めている 状況の中で、北朝鮮の幹部と何度も膝をつき合わせて話してきたのは、私くらいなんだから。実際、外 国の外交官からのコンタクトはよくある。日本政府は私を利用すればいいのにね。
北と南、そしてアメリカとの対話の輪に日本も加わってほしい。というのが今の私の願い。その先 に、どんな未来が拓けるか。もしかしたら労働人口が減り続ける日本の深刻な人で不足を救うのは、北朝鮮の労働者たちかもしれない。
北朝鮮は元々、中国、モンゴル、ロシア、中東などに出稼ぎ労働者を出していた。国連制裁のた め各国に散らばった労働者は今、次々と送還されている。しかし、北朝鮮労働者を単に排除するだけで は知恵がない。北朝鮮の人々はみな農業に携わっている。党の有力者ですら収穫作業をするくらいだ。 農業経験の豊富さは彼らの強みと言っていい。
日本には放棄されて荒れた農地がたくさんある。それを北朝鮮の労働者にもう一度耕してもらって はどうか。例えば収穫物の数パーセントは本国に送ってもよいということにすれば、彼らにとっても大きなメリットになる。
もう一つの強みは介護。儒教の国だから、彼らは年上の人を敬う。日本では子供が親を殺す事件 が起こるけれど、北朝鮮ではそういう事件が起こることはまずないね。「兄さん(金正男)を殺したじゃ ないか」と言われるかもしれないが、そこまで私は知らねえよ(笑)。ともかく私は彼らに日本に来ても らったらいいんじゃないかと思う。賃金はわれわれにとって安く、彼らにとって高い額にすればいいよ。 日本の外務省が国民に渡航自粛を要請している現状で、北朝鮮労働者の受け入れをといっても、 賛同されにくいかもしれない。それでも私がこんなことを言うのは、自分自身に移民の経験があるから だ。 私は 1957 年、十三歳の時に一家でブラジルに移住した。それから三年してブラジル興行に来て いた力道山にスカウトされ、そのまま弟子入りしてプロレスの世界に入ったわけだ。そういう移民経験が あるので、異国生活の辛さが理解できる。特に最初の頃は、勝手がわからず困ることも多い。そんな時 に助けてくれるのが、自分たちより前に移住した同じ国の出身者でね。猪木一家も、戦前にブラジルへ 移った人々にさまざまな形で指導を受けた。
在日韓国・朝鮮人は今、百万人程度いる。もし北朝鮮の労働者が日本に移住してきたら、彼らの 支援を受けることができるだろうね。焼き肉屋、韓国料理屋も多いから、食べ物に困ることもないね。 北朝鮮労働者の受け入れが実現するためには、日本と北との間に絶対的な信頼関係がなければ ならない。制裁だけでなんとかしようとしてもうまくいかないよ。奇しくもロシアのプーチンさんが言って いる。「あの民族は草の根っこを食ったってギブアップしない」と。たしかに北朝鮮は米不足で苦しんで いるけれども、だからといって米の支援さえすれば対話に乗っかってくるなんて単純な話じゃない。 拉致問題も、両者の間に信頼関係が構築されてはじめて解決されると思う。実際、私はこれまで訪朝のたびに北朝鮮の高官たちと拉致問題についても話してきた。お互いの間に信頼関係があるからこそ、 突っ込んだ話が可能になる。いきなり北朝鮮に乗り込んで、会談の冒頭に拉致問題を俎上に載せても相手が気分を害して終わるだけなのは目に見えている。
1994 年の最初の訪朝で当時ナンバー3 と目された金容淳書記ら高官と話したときも、私はまず相手に反論せず、じっくり聞いた。その上で「ところで、そちらのミサイルは日本を向いているそうですね」 と話題を変えた。当然、場は凍りついた。続く食事会で「俺たちのミサイルも北を向いています」と言っ たら緊張感が走って、「どういう意味だ? 」と聞かれた。「北朝鮮には美女が多い。だから日本男児のミサイルがこっちを向いているんです」と答えたらみんな笑ったね。
勝ち負けも大事だが、それよりも大事なのは成果、お互いの国の背後に国民がいる以上、国民 が納得する落としどころを見つけなければならない。「外交に勝利なし」だよ。


北朝鮮はこれから発展する
スポーツ交流は信頼関係を築く一歩として格好の手段だ。しかし、日本の対応はひどい。2014 年に、 東京で開催された卓球の世界選手権に北朝鮮の選手団が参加してね。北朝鮮ではラケットに貼るゴム なんかが手に入りにくいから、日本で卓球用品を買って帰ろうとした。ところが、成田の税関がそれを取 り上げた。そんなセコイことをしていたら、スポーツ交流で日本に好感を持ってもらおうとしても台無しだ よ。昨年六月、安倍首相が拉致被害者家族会と面会したとき「私は(北朝鮮に)騙されません」と発言したのには驚いたね。もし友好的に話を進めたいのであれば、相応の言葉を選ぶべきだ。大学も出 て、それなりの教育も受けているはずなのに、どうしてあの程度の言葉遣いしかできないんだろうね。 私は学校も行っていないバカだけれど、それでもあれがおかしいことくらいはわかる。
それなのに今は「無条件で対話する」と言う。発言にブレがあるよ。アメリカから言われたんだ ろうね。まあ、それでも対話するならいいよ。私は前向きだから(笑)。
今後、北朝鮮はどうなっていくだろうか。案外早く、今の上海やドバイのように経済発展が進んでい るんじゃないか。四十年ほど前、上海にもドバイにもプロレス興行で訪れたが、当時はどちらも小さな都市でね。ドバイなんか砂漠の中に一軒しかホテルがなかった。他に行くところもなかったから、プールサ イドで日光浴してね。ところが、しばらく前にドバイを再訪したときには、そのホテルがどこにあるかわか らないくらい高層ビルが無数に立っていた。平壌が同じような大都市に変貌してもおかしくない。北朝鮮 はレアメタルなど地下資源の宝庫でね。ところが、彼らにはそれを掘り出す技術がない。もしその技術 があれば、北は南より金持ちになる。文在寅大統領も、トランプ大統領も当然そのことを認識した上で、 金正恩委員長との対話を進めている。
私は 2013 年 8 月に日本外国特派員協会の記者会見で、あえて「拉致が解決したら私たちは幸 せになれるんですか? 」と過激な問いかけをした。政府には取り合ってもらえず、ネットでも猛反発を食 らったよ。


1989 年にプロレスラーとして初めて参議院議員に当選したアントニオ猪木氏。95 年に落選したものの、2013 年、 国政に復帰し、一期(6 年)を務めたが、今年 6 月 5 日、政界引退の意向を表明した。足かけ十二年の議員生活 の中で、猪木氏が最も力を入れたのが外交だ。特によく知られているのが、猪木氏の師で、朝鮮半島出身のプロ レスラー、力道山の思いを果たすためにはじめた北朝鮮幹部との交流である。1994 年に力道山の娘と北朝鮮で 会い、翌年には平壌でプロレスを含むスポーツイベント「平和の祭典」を成功させた。以来、訪朝の回数は実に 三十三回に及ぶ。