サヴォナローラとリバイバル

サヴォナローラとリバイバル


1494年から1498年の間にイタリアのフローレンスで特筆すべきリバイバルがあった。それは、ジローラーモー・サヴォナローラ( 1452 ~1498 )から始動した。彼は青年時代、心の動揺と何か外面的に行うことでは満たされない飢え渇きに引き裂かれるほどの苦しみを引きずっていた。1475年、彼はひそかに家出をし、大胆な信仰の歩みを始め、ボーローニャの修道院に行き、自らを神にささげたのだ。

 

そこで、聖書の言葉に集中した彼は、新約聖書の初代教会と彼の時代の教会とを比較して、教会が昔持っていた純潔が、高慢と世俗主義によって失われてしまったことを示された。

1481年に彼はフィレンツェの聖マルコ修道院に転任を命じられ、そこでの彼の敬虔な働きが評判となり、サン・ローレンツォの教会の受難節における説教の招きを受けた。しかし、霊的備えが十分できていなかったため、彼の説教は聴衆を失望させた。

彼は断食、祈祷、聖書を深く読みはじめ、やがて霊的な成長がおこって、黙示録を読んでいたとき重大な霊的覚醒が起こった。彼はもう一度講壇に立ち、火山の大爆発のように彼に示された聖書の言葉を叫び始めた。「悔い改めよ!悔い改めよ!最後の日は間近に迫っている。」
聖書から取り出された彼の強烈な言葉は、フィレンツェ市民の心に霊的変革をもたらした。キリスト教史における最初の国ぐるみの大リバイバルが始まった。

人はサヴォナローラを霊的・政治的指導者として認め、フィレンツェに霊的な覚醒が起こった。「不正な手段で利益を得ることが停止され、仇敵同士が恨みを忘れて抱擁しあった。勝負事やダンスをする者がいなくなった。市民は世俗的な物事に対する執着を断った。カード、サイコロ、婦人の装身具、淫らな書物や絵画をもってきて火中に投じた。」

彼のローマ教皇をはじめとする堕落した司祭たちに対する攻撃は激しく、ローマ教皇は有罪宣言を彼に対して行った。教皇の全面的支持を得た反対派市民は1498年、サヴォナローラを獄に入れ、残酷な拷問を加えた。教皇アレクサンデル四世の命令で処刑が決まり彼は1498年の5月13日に殉教した。遺体は焼かれ、灰は川に捨てられた。

ここで述べたリバイバルは、聖書中にはない用語である。リバイバルは、「ある信者のグループに広がっていく霊的覚醒運動であり、祈りと確信、悔い改めと清め、クリスチャン生活の霊の深みや主への献身度を増し、伝道や証しを喜びをもって従事できる」ことである。