皆さん今日は。暑い日が続きますね。さて、社会的福音とは、SDGs(Sustainable Development Goals 持続可能な開発目標)のことではないのかと思っていたら、柏教会牧師の「神の国の実現を目指して」という投稿を発見しました。わかり易い文章でつづられていますのでご紹介します。
神の国の実現を目指して
①新しい世界の秩序は
世界は今、新型コロナウイルスの渦の中にいます。まさかこんなに広がるとは、多くの人々は夢にも思ってはいなかったのではないでしょうか。良い意味でも悪い意味でも、世界は私たちが考えている以上に、つながっていることをあらためて感じさせられます。
一つだけ確かなのは、このような世界的パンデミックの後には、以前と同じ世界には戻れないということです。新しい世界の再構築に迫られます。「自国第一主義」のような考え方、生き方はもう通じない新しい世界の秩序が求められてくるのではないでしょうか。お互いが共に助け合い、協力しない限り、この地球の存在そのものが危ぶまれるような世界になりました。
そのような新しい世界を創造するために、教会も貢献する必要に迫られます。主の再臨を受け身的に待ち続けていくのが教会ではありません。この世から隔離して存在していくのも教会ではありません。この世の人々が霊的に救われることだけを求めるのが教会ではありません。
聖書は私たちに、天国への脱出を教えるだけの書物ではありません。聖書は教会がさまざまな社会問題にも取り組む姿勢を求めています。「人よ、何が善であるのか。そして、主は何をあなたに求めておられるか。それは公正を行い、慈しみを愛し/へりくだって、あなたの神と共に歩むことである」(ミカ書6章8節)神様のビジョンは主の祈りにありますように、「御国が来ますように・・・・天におけるよう地の飢えにも」(マタイによる福音書6章9,10節)です。神の国の価値観が反映される社会が、この地の上にも築き上げられるようにとの祈りです。
②誰一人取り残さないために
現在、国連ではSDGs(Sustainable Develop-ment Goals 持続可能な開発目標)という2030年に向けて世界全体がめざさなければならない17の共通目標を掲げています(SDGsのサイトはネットですぐに見つかります)。これらの目標を達成しない限り、地球を持続させていくことは厳しくなります。世界の人々が皆、協力をして解決しなければならない課題が描かれています。
SDGsが掲げる標語は「誰一人取り残さない」です。これらすべてに普遍的な価値観(神の国の価値観)が反映されています。「天におられるあなたがたの父の子となるためである。父は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである」(マタイによる福音書5章45節)。すべての人に神様の恵みは注がれています。誰一人、神さまの恵みから漏れる人があってはなりません。教会はそれぞれ置かれた場所において、17の目標の一つでも実現するために、少しでも努力を重ねることが求められています。
③新しい世界を実現するための原動力
安息日は旧約聖書ではいつも、神様が望まれた、公正で、差別なく、皆が共に愛され、共に生きていく、自然との調和を大切にする世界の象徴として与えられています。安息日の重要性は礼拝の日を守ることに留まりません。このような世界を実現するための原動力を神様からいただく日として描かれています。安息日が含まれる十戒はエジプト脱出の後に与えられました。その意図はエジプト的価値観(力による抑圧的支配、欲望優先、生産性で測られる人の価値、分断と排除など)とは異なった価値観によって築き上げられるイスラエルの社会をめざしていました。恵みにより神様の民として選ばれたイスラエルの民には、神様との恵みの関係が社会の在り方にも反映することが期待されていたのです。
ルカによる福音書に描かれているイエス様の最初の宣教の言葉は、次のように記されています。「預言者イザヤの巻物が手渡されたので、それを開いて、こう書いてある箇所を見つけられた。『主の霊が私に臨んだ。貧しい人に福音を告げ知らせるために主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは/捕らわれている人に解放を/目の見えない人に視力の回復を告げ/打ちひしがれている人を自由にし/主の恵みの年を告げるためである』」(ルカによる福音書4章17~19節)
解放者としてのキリストの到来を告げるその言葉の中には、今考えるような政治的な意図はありませんでした。しかし、ローマが建て上げようとしているこの世の国に対抗する新しい国の出現を意味するこの宣言は、別な意味で政治的な宣言でもありました。ローマはその帝国を神の国と考え、その頂点に君臨する皇帝を神として崇めていました。その圧政の中で苦しむ人々に対しての、イエス・キリストの解放の宣言でした。この後に描かれるイエス・キリストの働きは、社会の片隅に追いやられた方々へ向けた働きであり、ルカが意味する貧しさは霊的な貧しさのみならず、物資的に貧しい人々を指していたのです(ルカによる福音書5章20節 )その手段は軍事力でもなく、政治力でもなく、経済力でもなく、愛の力による社会変革を進めていこうとされました。
④最前線に立つ教会を夢見て
教会がSDGsの目標を達成するために、最前線に立つ教会であることを夢見ています。私たちの教会のパイオニアは、アメリカでは奴隷制度などにも反対する教会として出発しました。健康改革も何を食するかと同時に、誰と食するかが問われていました(身内と部外者)。もし、パイオニアの方々が今、生きているならば、同じスピリットで改革に取り組む教会を見ることで、彼らの築いた伝統が生かされていることを嬉しく思われることでしょう。
残念ですが、今の教会は後れを取ってしまっています。社会問題への取り組みと福音宣教はコインの表裏のようなものです。ホリスティック(全人的)な社会の実現に向けての使命が私たちの教会には与えられています。貧困、環境問題など待ったなしの世界が待ち受けています。目を開いて見てみましょう。感じてみましょう。地域の方々がどのような問題に悩んでいるのか、どのようなことに苦しんでいるのか。地域の人々の悩みを教会の悩みとして受け止め、共に地域の方々と手を取り合いながら、神の国の価値観が反映される社会を築き上げていく務めを果たしてまいりましょう。「公正を水のように/正義を大河のように/尽きることなく流れさせよ」(アモス書5章24節 )教会がこの流れの源となりますことを願っています。
宮本安喜/みやもとやすき
柏教会牧師
( アドベンチスト・ライフ2020年6月号 より転載 )