さあ、主に立ち返ろう

ホセア書 6章
1 「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。2 主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。3 私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」

ホセアの時代的背景
北王国イスラエルは、ヤラベアム二世の時代に、王の手腕と国際情勢の助けにより、ダビデ時代の再現を思わせる国運の隆盛を見た。ヤラベアム二世の死とともに急速に衰退の一途をたどり、ついに前721年アッシリア軍によって、首都サマリヤが陥落するとともに、サマリヤの滅亡に至った。すなわち内政的には、ヤラベアム二世の死後その子ゼカリヤは六か月にして、シャルムに殺され、以後、シャルム、メナヘム、ベカヒヤ、ベカ、ホセアと、約25年の間に七人の王が相次いで革命によって交代するという無政府状態を現出した。

また外交的には、前九世紀ごろから西方進出を開始していたアッシリヤの重圧はいよいよ強くなり、他方エジプトも地中海東岸諸小国の動向には深い関心を示して干渉を加えた。両強大国に挟まれたイスラエルは、常に対外政治が動揺し、ある時はアッスリヤに貢物を納めて親アッスリヤ政策をとり、ある時はスリヤと結び、あるいはエジプトの援助を求めてアッスリヤの重圧から逃れようと試みるなど無定見さを暴露した。

一方こうした政治的混乱と別に、国民の宗教生活も甚だしく乱れていた。すなわち、アモスの活躍したヤラベアム二世の時代にも既に宗教的腐敗は社会的不義の面に明らかになっていたが、それに続く時代には、カナンの農耕宗教である自然神バアルの礼拝が、イスラエルに深く食い入っていた。

国民は、彼らに自然の収穫を与えるものとして丘の上の祭壇でバアルを礼拝し、特にその聖所には神殿娼婦が置かれ、その祭儀には甚だしい性的不道徳が伴った。しかも彼らは、このような自然的、感覚的なバアル祭儀を、ヤハウェ礼拝の名の下に行っていたのであり、一般人のみならず、祭司、預言者たちさえ、このような折衷宗教に陥っていたのである。
ホセアについて
このような時代下、ホセアは北王国イスラエルで活躍した。彼はヤラベアム二世の死(前746年)の数年前から北王国滅亡(前721年)の少し前まで、三十年近く預言活動を続けたと考えられる。おそらく彼は農耕者であったと考えられる。しかし後述する彼の家庭における悲劇的体験が、彼の預言者としての使命の自覚とその預言内容に深い関連を持っていると思われる。

ホセア書 3章
1 主は私に仰せられた。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。ちょうど、ほかの神々に向かい、干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々を主が愛しておられるように。」2 そこで、私は銀十五シェケルと大麦一ホメル半で彼女を買い取った。
3 私は彼女に言った。「これから長く、私のところにとどまって、もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはならない。私も、あなたにそうしよう。」4 それは、イスラエル人は長い間、王もなく、首長もなく、いけにえも、石の柱も、エポデも、テラフィムもなく過ごすからだ。
5 その後、イスラエル人は帰って来て、彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう。

ホセアの悲劇的体験とは、ゴメルという娘と結婚したが、彼女は夫に背いて姦淫を犯し、不義の子を産むに至った。彼女はついに奴隷または娼婦の境遇にまで転落していったが、ホセアの強い愛情はこの不貞の妻を捨て去ることができず、代価を支払って彼女を買い戻し、再び妻とした。ホセアはこの不幸な結婚と自己の慈愛を通して、主に背くイスラエルに対する神の不変の愛を深く理解する預言者となった。
彼の特異な体験を反映して、ホセアの預言は極めて内面的である。彼はアモスのような諸外国の審判には全く関心を示さず。ただひたすらそむけるイスラエルに迫る神の真実不変の愛を説き、愛ゆえの神の痛みと怒りを叫び、民がバアル礼拝から愛なる神に立ち帰ることを勧める。彼は、バアル礼拝並びに内政および外交の動揺混乱を、具体的な罪として激しく糾弾しているが、彼がこれらを真実なる神の知識を欠くゆえの、神への背き、姦淫とみたのである。また、彼においても、審判はあくまで来たらねばならぬが、それは審判に終わるのではなく、神の不変の愛ゆえに、淫行から清めれれて再び神の民とされる救済措置の希望がうかがわれるのである。