アポストロス(ギリシャ語で使徒の意)

皆さん今日は。

ハーベストタイムの「聖書入門」によれば、「使徒」には二通りの使い方があるということです。原語のギリシャ語で「アポストロス」。この言葉には、遣わされたもの、メッセンジャなどの意味がります。

使われ方は、以下の三通りです。


(1) 使徒職は教会に与えられた最高の賜物とされている。(1コリ12:28)
「第一コリント12:28;そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行う者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。」
(2) ユダヤ的考え方では、遣わされたものは「代理人」です。遣わされた者は遣わした者と同一人物である、つまり、同じ権威をもって行動し交渉(商売)する、という理解がそこにあります。
(3) 新約聖書にも「代理人」の概念があります。イエスは究極的な意味で、神の「代理人」です。ヨハ3:34「神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである。」

新約聖書では、2種類の使徒たちがいます。12使徒を第一グループというなら第二グループも存在するのです。


(1)12使徒たち。彼らは、イエスが洗礼を受けた時から弟子であった人たちであり、復活のイエスに出会った人たちです。「すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動を共にした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」(使1:22)

(2)第二グループの使徒たち。彼らは、復活のイエスに出会った人たちです。パウロはこの資格を満たしています。バルナバもまた第2グループの使徒です。(これを聞いた使徒たち、バルナバとパウロは、衣を裂いて、群集の中に駆け込み、叫びながら、言った。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。(使14:14)さらに、イエスの弟のヤコブも同じです。その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、あらわれてくださいました。(1コリ15:7-8,)現在、使徒としての資格を有する人はいません。

ハーベスト・タイムでは明記されていませんが、第2グループの中に、女性が含まれていた可能性を見ることができます。


313年にミラノ勅令でキリスト教を公認したローマ帝国の皇帝コンスタンティヌス帝が主催して、325年に小アジアのニケーア(ニカエアと表記することもある)で,キリスト教の教義を決する最高会議が開催されました。この会議はキリスト教における、最初の正統教義を決定した重要な公会議となりました。その前年の324年、コンスタンティヌス帝は自らキリスト教徒であることを宣言、翌325年にニケーア(ニカイア。小アジアのニコメディアの近く)に約300人の司教を集め、コンスタンティヌス帝自ら黄金の椅子に座り議長を努めました。

公会議とは、キリスト教教会の全体意志を決定する重要会議で、これ以後、何度も開催されます。一般に宗教会議とも言われますが、固有の意味を持たせて公会議といいます。ここでは、イエスは神そのものではなく父なる神に従属するとしてその神性を否定するアリウス派と、イエスは子であるが父と同じ(同質=ホモウーシオス)神であるとしてその神性を認めるアタナシウス派の両派が激しく論争を展開しました。

会議は当時キリスト教内部に起こったアリウス派の考えを認めるかどうかがテーマでした。コンスタンティヌス帝としてはキリスト教を公認した以上、その教義は一本化していなければならず、司教間の対立は皇帝として仲裁しなければならないと考えていました。

会議はアリウス派に反対するアタナシウス派との間で2ヶ月間にわたる議論が展開され、その結果、中間派も含めてアタナシウス派が大勢を占め(300人の司教のうち反対は5人だった)、イエスの神性を認めるアタナシウス派が正統、アリウス派は異端とされ、ローマ領からの追放が決定されました。なお、アタナシウスの神とイエス双方に神性を認める考えには、さらに聖霊を加えてその三者がそれぞれの面をもつが実体において一体であるとする三位一体説が教義として確立し、381年にテオドシウス帝の招集したコンスタンティノープル公会議において正統教義とされるに至ります。

三位一体が確立するに及んで、イエスはマリヤの胎内において、聖霊であり、生まれたイエスは、人間ではなく、父、子、聖霊をお持ちになった三位一体の存在であることが明示されました。

「彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使いが夢に現れていった。『ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。』(マタイ1:20)

新約聖書でも、パウロ(サウロ)やバルナバ、ヤコブ(イエスの弟)等が使徒であることが明示されていますが、女たちについては書かれていません。おそらく、ローマやユダヤなどの男性優位の社会で、女性の優位さを明し続けることはできず、男性優位のみが歴史であるかのように改変されていったのでしょう。


日本では、江戸時代まで続く、男性優位の伝統が残されており、それが災いしたように思われます。この男性優位の流れを改変していったのがフェミニズム運動です。

参考(1970年、反ベトナム戦争の動きを受け、新左翼からウーマンリブと呼ばれる新しい女性の解放運動が始まり、1960年代後半には急進的な学生運動が起こった。この運動は、米国や他の国々での急進的なフェミニスト運動と同期しており、1970年代以降のフェミニスト行動主義の復活を促した。フェミニズムの活動家たちは、同時代日本の男性優位な社会的性格について包括的な批判をし、政治経済システムと社会においての文化的側面の根本的な変化を主張した。これらは性の解放に重点を置いていたこと(性の解放誠の会)によって、それ以前の運動とは異なる。

 男性との平等を目指すのではなく、むしろ男性が家父長制と資本主義システムの抑圧的側面から解放されるべきであるという事実に焦点を当てていました。


1979年、女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約が 国連総会で採択されました。日本政府によって条約が批准されたのは1985年でした。こうした変化にもかかわらず、日本は1986年に「ヒューマナの世界人権ガイド」で落第という評価を受けています。)

日本人ではなくて恐縮ですが、ピーター・アムステルダム氏の記事にははっきりと書かれています。

記事名:信仰の女性たち:使徒行伝と書簡に登場する女性
[Women of Faith: In Acts and the Epistles]May 24, 2016

(このシリーズでは、新約聖書に登場する女性の役割を見ていきます。その目的は、キリスト教の初期において女性が果たした重大な役割と、今日の教会における女性の役割の重要性に光を当てるためです。)

イエスは宣教活動のあいだの女性とのかかわり方によって、女性に関する1世紀の伝統的、ユダヤ的な型を破られました。イエスの復活後、最初期の信者たちは、男女平等に弟子となれるし、福音の普及に携うことができるというイエスの考えを引き継いでいました。

この平等性は、五旬節の日に確認されました。イエスは昇天される直前に、弟子たちにこう言っておられます。「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう。」 「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう。」

エルサレムで待っているあいだ、信者たちは(イエスの母マりヤや兄弟を含め、男性も女性もともに)絶えず集ってひたすら祈りをしていました。五旬節の日も、同じように皆が一緒に集まっていました。

突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。

大勢の人が集まってきたので、使徒ペテロは人々に語りかけ、一体何が起こっているのかを、ヨエル書から引用して説明しました。

「神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。」

聖霊が与えられたとき、女性たちもそこにいました。ペテロは預言者ヨエルの言葉を引用して、女性は男性とともに、聖霊を受けて福音を伝える力を授かったのだという点を強調したのです。

使徒行伝には、迫害が起きた際、サウロ(のちの使徒パウロ)が男女の別なくクリスチャンを迫害したと書かれています。

サウロは家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して、教会を荒し回った。サウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。

『Women in the Church』(教会内の女性) という本で、著者はベン・ワージントンの次の言葉を引用しています。

ここでルカは、女性の数が多かったか、「この道」の大義にとって女性が重要な存在だったか、あるいはその両方の理由で、サウロは男性だけでなく女性も捕まえなければこの運動を止めることはできないと考えた、ということを読者にほのめかしているに違いありません。

使徒行伝には、女預言者のことも書かれています。ピリポの娘たちは預言をしていました。 パウロは、女性が公けに預言をすることはかなり普通のことであると言っているような書き方をしています。

祈をしたり預言をしたりする時、かしらに物をかぶる男は、そのかしらをはずかしめる者である。祈をしたり預言をしたりする時、かしらにおおいをかけない女は、そのかしらをはずかしめる者である。

他にもパウロは、預言者について書く際に、預言者は他の働きをする人たちと同様に、正式な地位を有していたと言っているようです。これは、初代教会において、女性が指導者の地位についていたことを示しています。

また、女性が教会内で教師をしていたことが書かれています。使徒行伝18章には、雄弁で、ユダヤ教聖書に精通するアポロというユダヤ人が登場します。彼は主の道に通じてはいましたが、知るべきことをすべて知っていたわけではありませんでした。アポロが会堂で大胆に語っているのをプリスキラ(プリスカとも呼ばれます)とアクラが聞いたとき、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明しました。 このように、プリスキラが信仰について男性を教えたケースがあります。ここで、また新約聖書の他の箇所でもそうですが、プリスキラの名はアクラの前にあげられています。当時、夫の前に妻の名前をあげるのは、かなりめずらしいことでした。グレンツとクジェスボは次のように書いています。

「プリスキラとアクラ」と書かれているので、おそらく彼女が主に指導していたと思われます。プリスキラとアクラの深みに最小限の評価しか与えないのもいけません。アポロが「聖書に詳しい」ということだけを取り上げても、彼らが「もっと正確に神の道を説明」できるだけ知識があったからこそ、アポロに受け入れられたのです。

パウロは二人のことをこう書いています。「キリスト・イエスにあるわたしの同労者プリスカとアクラとに、よろしく言ってほしい。彼らは、わたしのいのちを救うために、自分の首をさえ差し出してくれたのである。彼らに対しては、わたしだけではなく、異邦人のすべての教会も、感謝している。また、彼らの家の教会にも、よろしく。」

ここでパウロは、女性を同労者と呼んでいます。これは、パウロが自分の仕事を助けてくれた人をよく呼んでいた協力者という言葉と同じような意味です。パウロが他に同労者・協力者と呼んでいた人にテモテやテトス がいますが、この二人は明らかに教会を導くことに関わっていました。パウロが他に同労者・協力者と呼んでいる女性はユウオデヤとスントケ(エボディアとシンティケ)で、この二人については、このように書いています。 「『いのちの書』に名を書きとめられているクレメンスや、その他の同労者たちと協力して、福音のためにわたしと共に戦ってくれた女たちである。」

パウロはローマ16章で、27人の人にあいさつをしています。そのうちの何人かには特に言葉を述べており、その中には女性も6人含まれます。プリスキラは同労者・協力者と呼ばれ、マリヤとペルシスは「一方ならず労苦した(働いた)」、 ツルパナとツルポサ(トリファイナとトリフォサ)は「主のために苦労して働いている」 と書かれています。(他に名前があげられているフィベとユニアスについては、後ほど書きます。) パウロはこの章において、教会の仕事をしているこの女性たちを、男性たちをほめるときに使うのと同じ言葉でほめています。これは、パウロが男性も女性も神の仕事においては対等のパートナーであると考えていたことを示します。

他にも、初代教会において女性が指導職にあったというしるしがあります。援助者の女性もおり、その人たちの家が礼拝の場所として使われていました。マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤ、ルデヤ(リディア)、 そしてプリスキラ(アクラとともに) は、全員が援助者として奉仕していました。フィベ (フェベ)はギリシャ語で「ディアコノス」つまり執事(新共同訳では「奉仕者」)と呼ばれています。ある学者たちは、それは彼女がケンクレヤの教会において、牧師のような正式な職務についていたという意味だとしています。他の学者たちは、それは教会の援助者のことであると解釈しています。どちらにせよ、パウロは明らかに彼女を高く評価しており、ローマにいる信者たちに、こう告げるに足るほど大切な人と考えていたのです。「どうか、聖徒たるにふさわしく、主にあって彼女を迎え、そして、彼女があなたがたにしてもらいたいことがあれば、何事でも、助けてあげてほしい。彼女は多くの人の援助者であり、またわたし自身の援助者でもあった。」

ローマ16:7で、パウロはこう書いています。

わたしの同族であって、わたしと一緒に投獄されたことのあるアンデロニコとユニアスとに、よろしく。彼らは使徒たちの間で評判がよく、かつ、わたしよりも先にキリストを信じた人々である。

この聖句とその意味について、学者たちの間で意見の相違があります。ユニア(多くの英訳聖書では、ユニアスではなくユニアと訳されています)は1200年代になるまで、女性の名前であると見なされていました。そのころからある写本では、この人が男性であることを示唆するユニアスという名前に変えられています。「使徒たちの間で評判がよい」(口語訳)という言い方は、二つの違った翻訳のしかたができます。一つは「使徒たちの間によく知られている」(日本語では新改訳がこの訳し方)、もう一つは「使徒たちの中で目立っている」(日本語では新共同訳がこの訳し方)です。今日のほとんどの学者は、ユニアは女性であった、また、最良の翻訳のしかたは「使徒たちの中で目立っている」であると考えており、そうなるとユニアが使徒と呼ばれていたことになります。それは、ユニアが12使徒の一人であったということではありませんが、アンデロニコとユニアはパウロより先に信者となっていたので、イエスが昇天の前に現れなさった5百人の兄弟の中にいたということを指しているのかもしれません。 あるいは、パウロがそう言ったのは、二人は正式に使徒として任命されていたからと考えることもできます。ちょうどバルナバも、地元の教会を代表して行動するように任命され、聖霊により承認されたことによって、使徒と呼ばれていたようにです。 そういうわけで、ユニアが使徒として知られていた可能性は大いにあります。

パウロの著作の中でも、男女の平等性を示す重要な箇所の一つはガラテヤ3:26–29です。

あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。

パウロは、信者たちのあいだにおいて、ユダヤ人と異邦人、奴隷と自由人、また男と女の違いというものは、もはやないと主張しています。「キリストを着た」人、キリストという衣を身にまとった人は、誰もが平等なのです。グレンツとクジェスボがこう説明しているようにです。「すべての信者が身にまとう『衣』は、人間のどんな差異にもまさる『同一性』を信者に与えます。」 この同一性を認識する一つの方法は、御霊の賜物の分け与えられ方を見ることです。

霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。務は種々あるが、主は同じである。働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。…すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。

すべての信者が、ユダヤ人であれ異邦人であれ、奴隷であれ自由人であれ、男性であれ女性であれ、御霊の賜物をいただけるのですから、霊的ステータスは誰もが平等なのです。

パウロは、キリストによって神と和解したことで、ユダヤ人と異邦人、奴隷と自由人、男と女という古い区別のしかたはもうなくなったと主張しています。この新しい見方によって、全信者の結束が生まれます。グレンツとクジェスボは次のように書いています。

そこで、パウロによれば、各人は自らの民族的背景や社会的地位、そして性別を、それによって、またそれを手段として、神に栄光を帰すために使うべきだということです。そのような人間的な差異は、キリストにあって消し去られます。むしろ、そういったことは、コラムデオ[神の御前にあって]、人の地位に対して何の意味も持ちません。キリストの交わりにあっては、もはや職務上の違いをもたらす根拠となることがないのです。

簡潔に言えば、こういうことです。

もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。

要約:イエスが女性とあのように関わり、女性を弟子として受け入れ、教えの中で良き手本として際立たせ、忠実な証し人であることに光をあてられたことによって、女性が男性と平等に初代教会の活動に携わる礎が築かれました。それは一世紀における大変革となったのです。そして使徒行伝には、女性が男性と平等に聖霊を受け、預言者や教師となったことが書かれています。パウロは女性を、同労者、執事、またユニアの場合は使徒と見なしていました。パウロは明らかに、女性がクリスチャン指導者として活動することを認め、支持していたのです。