ロシアによるウクライナ侵攻について

本日は、ロシアによるウクライナ侵攻について、国際法の視点で考えてみたいと思います

。参考として、日本経済新聞に寄せられた、 東京大学中谷和弘教授の記事を掲載します。記事は、ロシアによってなされたクリミアの編入問題に関してで、少し古いですが、ウクライナ侵攻を考えるうえで非常に重要と思われるので、ご容赦ください。

(国際法からみたクリミア問題)武力背景の編入は違法  中谷和弘 東京大学教授

日本経済新聞 2014年3月25日
<ポイント>
○独立宣言は自決権の概念では正当化できず
○クリミアは国家の要件欠き編入条約は無効
○ロシアの行為は国際社会の法的安定を害す

ロシアのクリミア編入は驚くべきスピードで進行した。3月16日にクリミアで強行された住民投票に基づいて17日にクリミア共和国がウクライナからの独立を宣言するや、ロシアは即座にクリミア共和国を国家承認した。18日にはロシアはクリミア共和国との間でクリミアのロシア編入に関する「条約」に署名した(21日までに批准完了)。本稿では、クリミア編入を国際法の立場から考えてみたい。

まず人民の自決権については、植民地からの独立と、独立以降では様相が大きく異なる。住民投票に基づくクリミア編入が、自決権ゆえに直ちに正当化されるわけではない。アジア・アフリカ諸国などの植民地独立の過程では、植民地領域の人民の自決権は植民地本国の領土保全よりも優位にたつものとして認められ、植民地独立の国際法上の根拠となった。

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これに対し、植民地を脱して以降の既存の国家内での自決問題は、国際法は「基本的には」関与しない。この場合の自決問題とは、どの範囲の集団が自決権を権利主体として認められるか、どの程度の権利が付与されるか(自治にとどまるか独立までか)という「国のかたち」の問題のことである。
ここで「基本的には」と述べたのは、次のような例外的な場合があるからである。第一に、分離の過程で重大な国際法違反(例えば集団虐殺)があれば、国際法はその行為を非難する。「違法から権利は生じない」が国際法の求めるところとなる。
第二に、外国(今回の場合はロシア)の介入に基づいてなされる分離は、本国(ウクライナ)の領土保全の侵害と内政干渉という国際法違反となる。第三に、本国の同意があれば、住民投票に基づいて国家領域の一部が分離独立することは国際法上、容認されるが、本国の同意なしになされる住民投票は、一般に国際法上の効力を有しない。

国際司法裁判所は、2008年のコソボのセルビアからの独立に関する10年の勧告的意見で「国際法上、独立宣言を禁止するルールはない」という理由で「コソボの独立宣言は国際法に違反しない」としたが、注目されるのは「独立宣言が違法な武力の行使と関連する場合には、宣言自体が違法となる」という趣旨の指摘がなされたことである。
ロシアが武力介入しウクライナ政府が同意していないクリミア共和国の独立宣言はまさにこれに該当する。なお、コソボの独立に反対していたロシアは、09年に同裁判所に提出した意見書で「国際法上、植民地の文脈を除き、国家の一部(コソボ)の分離が当該国(セルビア)の意思に反して認められるのは、当該人民の存在自体を危機にさらす最も深刻な抑圧に人民が継続的に服する極端な場合に限定される」とし、コソボはこれに該当しないと主張した。
ロシアが主張するように、セルビアによる弾圧を受けたコソボがこの「極端な場合」に該当しないとすれば、今回のクリミアの場合も該当しないことは明らかである。ロシア自身が示したこの基準に従う限り、ウクライナ政府の抑圧を受けていたわけではないクリミアの分離が国際法上、認められる余地はない。

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次に、クリミア自治政府の要請に基づくという理由でロシアのクリミアへの武力介入が正当化される余地もない。要請はウクライナ政府の要請に基づくものではなく、介入はウクライナの領土保全を侵害する国際法違反(国連憲章2条4項違反)であり、また違法な内政干渉となる。
昔の国際法では「内戦下では正当な政府の要請に基づく介入は合法だが、反政府勢力の要請に基づく介入は違法」とされたが、現在の国際法では、どちらの要請に基づく介入も基本的には認められないとの考え方が有力である。
もっとも、集団殺害のような人道上の惨劇が現に発生している場合に「人道的介入」が国際法上、認められるか否かは議論があるが、クリミアがそのような状況にないことは明らかである。
さらに、クリミア在住のロシア系住民(ロシア国民ではない)を保護するための武力介入が、ロシアによる自衛権としても認められる余地もない。人質状態にあったり虐殺されていたりする自国民の救出のためであれば、自衛権の行使が容認される余地はあるが、クリミアはそのような状況にはない。
ロシアによる違法な介入と国際法上、何ら効力を有しない住民投票によって誕生したクリミア共和国は、ロシアがクリミア併合を正当化しようとして「ワンクッション」おいただけの傀儡(かいらい)国家であり、国家承認したのはロシアのみである。
国家の資格要件を欠くクリミア共和国との「条約」がそもそも主権国家間の条約といえるかは疑問だが、仮にいえるとしても「締約の時に国際法の強行規範(破ることのできない規定)に抵触する条約は無効である」(条約法に関するウィーン条約53条)ゆえ、クリミア編入「条約」は無効と考えられる。
クリミア編入はさらに次の各ルールにも反する。第一に、1975年のヘルシンキ最終議定書(当時のソ連は参加国であり、ロシアもこれを遵守する必要がある)では、国境の不可侵、国家の領土保全の尊重および国内事項への不干渉を約束した。

第二に、96年のウクライナ憲法134条は「クリミア自治共和国は、ウクライナの不可分の構成要素である」、73条は「ウクライナの領土の変更はすべてのウクライナ国民による投票によってのみ解決される」と規定するため、住民投票とそれに基づくロシアへの編入は同憲法に反する。
第三に、94年のブダペスト覚書では、ロシア、米国、英国はウクライナが核不拡散条約に加入し核兵器を放棄する見返りに、ウクライナの独立・主権・既存の国境の尊重と、ウクライナの領土保全・政治的独立に反する武力による威嚇や武力の行使を慎む義務を再確認するとした。
第四に、97年のロシア・ウクライナ間の友好・協力・パートナーシップ条約2条では「国連憲章およびヘルシンキ最終議定書に従って、両国は相互の領土保全を尊重し、両国間の国境の不可侵を確認する」とした。国際法上、境界画定条約はたとえ事情の根本的な変化があっても終了できない(条約法条約62条)。
今年3月15日に日本を含む42カ国(主に先進国)が共同提出した国連安保理決議案は、(1)ウクライナの主権・独立・統一性・領土保全への安保理のコミットメントを再確認する(2)全当事者に本紛争の平和的解決を直ちに追求するよう促す(3)住民投票が何ら有効性をもたず、クリミアの地位変更の根拠になりえないことを宣言する――を主たる内容とするものであったが、ロシアの拒否権によって採択されなかった(中国は棄権)。
しかしながら、安保理の15カ国のうち13カ国が同決議案に賛成したという事実は、国際社会の支配的な見解がどこにあるかを裏から物語っているといえよう。

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クリミア編入は北方領土問題にいかなる含意を有するのだろうか。ロシアは「現島民の意思を最優先させるべきだ」と主張してくるかもしれない。その場合には「領土の帰属は住民の意思では決定されず、国家間の合意が優先する」「45年の違法な侵攻に基づく不法支配の継続から権利は生じない」と反論するのが、国際法に従った正攻法であろう。
「力による現状変更」であるロシアのクリミア編入はそれ自体が国際法違反であるとともに、国際社会の法的安定性を著しく害し、他の領域関連問題にも火を放ったという点で、ロシアの責任は極めて重大である。

なかたに・かずひろ 60年生まれ。東大法卒。専門は国際法