神様のご計画

                                森合 良至
1.学生たちの反応に違和感
 私の実家では母が長年、ある宗教団体で活動を続けてきました。私が幼少の頃は姉や妹と共に何かしらの行事や活動に何度か母について行った記憶があります。その後は学校の部活等に忙しくしていました。大学生になった頃、自分が住んでいた地区の学生や青年たちの活動に対するサポート役を頼まれ、軽い気持ちで活動に参加するようになっていました。主な活動内容は法華経の流布と10代~20才の同年代層との交流等で、それなりに楽しさはありました。 しかし、私が学生達を行事や活動に誘うために訪問する中で、「誰が来るの(参加するの)?」とよく聞かれました。彼らには気の合う仲間がそこにいるか否かが重要であり、一種のサークル活動のようなものなのかと感じるようになっていました。
2.今がすべてだ
 大学卒業後は障がいのある方々を支援する福祉施設の仕事につきました。
母の影響もあり「目に見えないものを信じることができる」と自分なりに信仰心を感じてきました。しかし、この数年間接ししてきた青年達の多くは、経典の真理や活動の主旨に賛同し集るのではないのだと感じるようになりました。そんなある年に施設の利用者が、若くして病気で亡くなりました。その時、同僚のクリスチャンの方と「死」や信仰等について話をする機会が与えられました。正直、死んだ後のことを真剣に考えた事はなく、その時の私は「今を一生懸命生きればいいじゃないか」と頑なな考えしか思っていませんでした。しだいに私は「自分のしているこの活動は意味があることなのか」、「活動している自分は何なのか」等の疑問に思案するようになっていました。  
そんな自分が抱えてきた問題に応えてくれたのはイエス・キリストでした。
3.キリストと出会う
 私は聖書に答えを求めて、同僚が行っている集会で聖書の勉強を始めました。また夏には2泊3日のバイブルキャンプに参加しました。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。私があなたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11章28節)キャンプ中で語られたメッセージは私の心の中を知っていたかのように、「真の信仰とは」や「神と人の関係」等について優しく語りかけてくれました。すべてのものは創造主である神の御心によって創られ、神のもとに導かれていることでした。私は神のすばらしい導きを体験し、これまでの心の曇りが一枚一枚取り払われたような驚きを忘れられません。「神様はいらっしゃる」という確信が心に生じました。
聖書には「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」とあります。
私にとってキャンプへの参加は神の計画と実感しました。
どんなことをしてきた人でも救われない人はいません。神の愛によって私のようなに神から遠く離れていた者もイエス・キリストを信じることだけで、これまでとは違う新しい人生へと変えてくれたことに感謝しています。
「神はすべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」
                        (テモテ第Ⅰの手紙2章4節)