力道山と朝鮮の分断

力道山と朝鮮の分断


私の北朝鮮外交 すべてを語ろう 日本の外交力は非常に弱体化している。 
アントニオ猪木


わたしの体はもうボロボロだ。特に足の親指の神経が痛んで、そり返す力が出ない。だから歩くとつんのめる。リハビリをしているが、いつも「もういい」という自分と、「いや待て、立ち上がれ」という自分との闘いだ。古希の時、祝いの会で挨拶をしたんだが、冒頭で「今日お集りのみなさんにこんなに祝ってもらってありがたい。それ以上に喜んでいるのは私自身の体です。なんでかといえば、あっちもこっちもコキコキってなっていますから」と話したら結構ウケたね。転ぶのが嫌だから、歩くときは杖を使っている。もちろん色は赤。この杖をついて歩いていると若い子から「ああ、ステッキ」って言われるんだ(笑)。車椅子もよく使う。「車椅子はやめた方がいい」と言われることもあるが、別にどうってことはない。見栄を張っても仕方がないからね。しかし七十六歳( 2022年7月時点では七十九歳 )になり、足だけでなく、いろいろな病を抱えて、体がもたない。もともと一期で終えるつもりだった。引退しても未練はないよ。
6月30日、アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長が板門店で会談した。トランプ大統領が南北軍事境界線を越えたのはまさに歴史的な瞬間だった。私もイベント屋の一人だから、どうしてもその視点で見てしまうけれども、あれはすばらしい「興行」だったね。北朝鮮に暗いイメージを持つ人は多い。しかし大規模なマスゲームを見ればわかるように、本来、派手好き。トランプ大統領にも人を驚かすのが好きな一面が見てとれる。今回の電撃会談が実現したのは、二人の性格にこんな共通点があったことも要因の一つかもしれない。たとえ世紀の大興行だとしても、対立する国のトップがお互い顔を合わせて対話する機会は貴重だし、喜ばしいことだね。

政治は命がけの仕事
現地を訪れてはじめてわかることは多い。私の北朝鮮外交に対しても少しは注意を払っていいはずだよ。平和、平和と日本の議員は口にするけど、じゃあ平和のために何か行動した奴がいるのかよ、と言いたいね。

北朝鮮労働者を日本に
私がこれまで三十回以上の訪問を重ねてきたのは、日本と北朝鮮との間で話ができる環境づくりをするため。しかし日本の外務省から私の話を聞きに来たことは一度もない。彼らも北朝鮮労働党幹部の動向は気になるらしく、あちこち聞き回っているようだ。しかしそんな面倒なことをしなくても、幹部に何度もあっている私に話を聞くのが一番早い。日本が北朝鮮を外交的にシャットアウトして、ドアを閉めている状況の中で、北朝鮮の幹部と何度も膝をつき合わせて話してきたのは、私くらいなんだから。実際、外国の外交官からのコンタクトはよくある。日本政府は私を利用すればいいのにね。
北と南、そしてアメリカとの対話の輪に日本も加わってほしい。というのが今の私の願い。その先に、どんな未来が拓けるか。もしかしたら労働人口が減り続ける日本の深刻な人で不足を救うのは、北朝鮮の労働者たちかもしれない。
北朝鮮は元々、中国、モンゴル、ロシア、中東などに出稼ぎ労働者を出していた。国連制裁のため各国に散らばった労働者は今、次々と送還されている。しかし、北朝鮮労働者を単に排除するだけでは知恵がない。北朝鮮の人々はみな農業に携わっている。党の有力者ですら収穫作業をするくらいだ。農業経験の豊富さは彼らの強みと言っていい。
日本には放棄されて荒れた農地がたくさんある。それを北朝鮮の労働者にもう一度耕してもらってはどうか。例えば収穫物の数パーセントは本国に送ってもよいということにすれば、彼らにとっても大きなメリットになる。

もう一つの強みは介護。儒教の国だから、彼らは年上の人を敬う。日本では子供が親を殺す事件が起こるけれど、北朝鮮ではそういう事件が起こることはまずないね。「兄さん(金正男)を殺したじゃないか」と言われるかもしれないが、そこまで私は知らねえよ(笑)。ともかく私は彼らに日本に来てもらったらいいんじゃないかと思う。賃金はわれわれにとって安く、彼らにとって高い額にすればいいよ。
日本の外務省が国民に渡航自粛を要請している現状で、北朝鮮労働者の受け入れをといっても、賛同されにくいかもしれない。それでも私がこんなことを言うのは、自分自身に移民の経験があるからだ。 私は1957年、十三歳の時に一家でブラジルに移住した。それから三年してブラジル興行に来ていた力道山にスカウトされ、そのまま弟子入りしてプロレスの世界に入ったわけだ。そういう移民経験があるので、異国生活の辛さが理解できる。特に最初の頃は、勝手がわからず困ることも多い。そんな時に助けてくれるのが、自分たちより前に移住した同じ国の出身者でね。猪木一家も、戦前にブラジルへ移った人々にさまざまな形で指導を受けた。
在日韓国・朝鮮人は今、百万人程度いる。もし北朝鮮の労働者が日本に移住してきたら、彼らの支援を受けることができるだろうね。焼き肉屋、韓国料理屋も多いから、食べ物に困ることもないね。
北朝鮮労働者の受け入れが実現するためには、日本と北との間に絶対的な信頼関係がなければならない。制裁だけでなんとかしようとしてもうまくいかないよ。奇しくもロシアのプーチンさんが言っている。「あの民族は草の根っこを食ったってギブアップしない」と。たしかに北朝鮮は米不足で苦しんでいるけれども、だからといって米の支援さえすれば対話に乗っかってくるなんて単純な話じゃない。

拉致問題も、両者の間に信頼関係が構築されてはじめて解決されると思う。実際、私はこれまで訪朝のたびに北朝鮮の高官たちと拉致問題についても話してきた。お互いの間に信頼関係があるからこそ、突っ込んだ話が可能になる。いきなり北朝鮮に乗り込んで、会談の冒頭に拉致問題を俎上に載せても相手が気分を害して終わるだけなのは目に見えている。
1994年の最初の訪朝で当時ナンバー3と目された金容淳書記ら高官と話したときも、私はまず相手に反論せず、じっくり聞いた。その上で「ところで、そちらのミサイルは日本を向いているそうですね」と話題を変えた。当然、場は凍りついた。続く食事会で「俺たちのミサイルも北を向いています」と言ったら緊張感が走って、「どういう意味だ?」と聞かれた。「北朝鮮には美女が多い。だから日本男児のミサイルがこっちを向いているんです」と答えたらみんな笑ったね。
勝ち負けも大事だが、それよりも大事なのは成果、お互いの国の背後に国民がいる以上、国民が納得する落としどころを見つけなければならない。「外交に勝利なし」だよ。

北朝鮮はこれから発展する
スポーツ交流は信頼関係を築く一歩として格好の手段だ。しかし、日本の対応はひどい。2014年に、東京で開催された卓球の世界選手権に北朝鮮の選手団が参加してね。北朝鮮ではラケットに貼るゴムなんかが手に入りにくいから、日本で卓球用品を買って帰ろうとした。ところが、成田の税関がそれを取り上げた。そんなセコイことをしていたら、スポーツ交流で日本に好感を持ってもらおうとしても台無しだよ。昨年六月、安倍首相が拉致被害者家族会と面会したとき「私は(北朝鮮に)騙されません」と発言したのには驚いたね。もし友好的に話を進めたいのであれば、相応の言葉を選ぶべきだ。大学も出て、それなりの教育も受けているはずなのに、どうしてあの程度の言葉遣いしかできないんだろうね。私は学校も行っていないバカだけれど、それでもあれがおかしいことくらいはわかる。
それなのに今は「無条件で対話する」と言う。発言にブレがあるよ。アメリカから言われたんだろうね。まあ、それでも対話するならいいよ。私は前向きだから(笑)。
今後、北朝鮮はどうなっていくだろうか。案外早く、今の上海やドバイのように経済発展が進んでいるんじゃないか。四十年ほど前、上海にもドバイにもプロレス興行で訪れたが、当時はどちらも小さな都市でね。ドバイなんか砂漠の中に一軒しかホテルがなかった。他に行くところもなかったから、プールサイドで日光浴してね。ところが、しばらく前にドバイを再訪したときには、そのホテルがどこにあるかわからないくらい高層ビルが無数に立っていた。平壌が同じような大都市に変貌してもおかしくない。北朝鮮はレアメタルなど地下資源の宝庫でね。ところが、彼らにはそれを掘り出す技術がない。もしその技術があれば、北は南より金持ちになる。文在寅大統領も、トランプ大統領も当然そのことを認識した上で、金正恩委員長との対話を進めている。
私は2013年8月に日本外国特派員協会の記者会見で、あえて「拉致が解決したら私たちは幸せになれるんですか?」と過激な問いかけをした。政府には取り合ってもらえず、ネットでも猛反発を食らったよ。日本維新の会の平沼赳夫さんや中山成彬さんらに呼びつけられて「猪木さん、あんなことを言ってもらっちゃ困る」と言われた。「すいません。拉致とは関係しません。私はスポーツ外交ですから」と答えた。
彼らは政府に期待していたんだね。だけど、その後、どうなったか?何年経っても拉致問題に進展はない。パフォーマンスの話し合いならやめろと言いたいね。私は60年近くずっとパフォーマンスの世界で生きてきた人間だから、パフォーマンスか真剣かすぐにわかる。
私の狙いは、拉致問題を貶めることではなく、まず経済協力でお互いの信頼関係を築き、拉致問題を解決に導くことにあった。もし信頼関係があれば、地下資源の採掘事業に日本も絡めるはずだが、今の状況のままでは難しいね。こんな考えを持つ私に、「猪木は北朝鮮にゴマをすっている」と批判する人がいる。しかし、よく考えてみてほしい。拉致問題担当大臣はこれまで何回、替わったか(十九回)。
彼ら大臣、あるいはブルーリボンバッジをスーツにつけた議員がこれまで一体何をやったか。訪朝した人はいるかもしれないが、党の幹部と話した人はいないと。


政界引退の真相
実は、七月の参議院選挙後に、野党で議員団を組織して、訪朝する計画があったんだ。二月に無所属クラブから国民民主党・新緑風会に入ったのもこの訪朝計画を実現する妙だった。水面下で北朝鮮との話し合いも進めた。もしこの話がうまくいくならもう一度出馬してもかまわないと考えていたんだ。ところがなかなか話が進まず、その上、「猪木さんが出ると自分の(比例名簿の)順位が下がるからでないでほしい」という声まで出てきた。元々一期で辞めるつもりだったが、自分の役割があるなら出馬する気もあった。しかし、もうこんなところにいたくないと思ったのが、政界引退の真相だよ。
もし政府に協力を求められたらいくらでも私はできる限りのことをする。北朝鮮との交流も、向こうが望むのであれば、そして私にしかできないことがあるのであれば、これからも続けるつもりだ。
人は挑戦をあきらめたときに老いるという。私はこれから挑戦を続けるつもりだ。一寸先はハプニング。拉致問題もこれから何が起こるかわからないよ。(構成・緑慎也)
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1989年にプロレスラーとして初めて参議院議員に当選したアントニオ猪木氏。95年に落選したものの、2013年、国政に復帰し、一期(6年)を務めたが、今年6月5日、政界引退の意向を表明した。足かけ十二年の議員生活の中で、猪木氏が最も力を入れたのが外交だ。特によく知られているのが、猪木氏の師で、朝鮮半島出身のプロレスラー、力道山の思いを果たすためにはじめた北朝鮮幹部との交流である。1994年に力道山の娘と北朝鮮で会い、翌年には平壌でプロレスを含むスポーツイベント「平和の祭典」を成功させた。以来、包丁の回数は実に三十三回に及ぶ。


文芸春秋 総力特集 日韓断絶 2019年10月号から