ウクライナから愛をこめて

ウクライナから愛をこめて  オリガ・ホメンコ
「出逢い」
相田みつを美術館へ行った。有楽町の駅でポスターを見て、彼の字に「親しみ」を感じて入ってみた。とてもシンプルできれいな美術館だった。書という伝統的な芸術なのに、新しいデジタル技術の様々な機能を取り入れて展示してあり、かえって現代風に感じた。この字をどこかで見たような気がすると思って考えていた。そして急に思い出した。博士論文を必死で書いていた時に、友達にステッカーをもらった。それは小さいけれど、内容深いものだった。「がんばらなくてもいいからさ、具体的に動くことだね」という作品だった。それが相田みつをの作品だということに、美術館に行ってから気が付いた。いまさらながら、そんな発見を嬉しく思った。その言葉は、論文執筆の暗いトンネルの中に光を当てて道を示してくれたからだ。
美術館で相田みつをの作品を見れば見るほど、様々な意味深い表現があった。いくつかの作品には、とても感動した。その中の一つは「出逢い」について語っていた。「そのときの出逢いが人生を根底から変えることがある よき出逢いを」というものだった。
確かに「出逢い」はすべての始まりだ。それは将来に向かって投げたボールみたいなもの。一回きりの出逢いだってある。その日の気分がよかったら、出逢った人に親切に優しくすることができる。でも正直に言えば、、いろんな日がある。たぶん、誰にでもそういう「ついてない日」、「記憶から消したい日」があるだろう。そしてそんな厄介な日に出逢ったら、あまりいい印象は残せない。そんな時の出逢いは、将来に向かってボールを投げたことにする。また今度出逢った時には、そのボールが帰ってきて頭に当たって、いろいろなことを思い出させてくれる。
いつもそうだとは限らないけど、人に出逢って元気をもらって、何か新しい目標に向かうようになることがある。例えば、相田みつを美術館へ行って、こんな偉大な先生も私と同じことを考えていて、「つまづいたっていいじゃないか、にんげんだもの」と書いていると気づけば、それは私にとっていい支えになるのだ。
次の日に大学で面白い出来事があった。エレベーターに乗ろうと思ったら、隣に西洋人の女性が立っていた。「どこから来ましたか」と英語で聞くと、「ウクライナのキエフという町をご存じですか」という返事がきたので、本当にびっくりした。「私もそうですよ」と言うと、「オリガ先生、私のことを覚えていませんか」と、今度はウクライナ語で聞かれた。「え……?」と考えこんだ。いままでたくさんの学生を教えたから、すべての顔を覚えているはずがない。でもこんなに人口が多い東京で、ウクライナ人にあう確率は非常に少ないはずだ。話しているうちに思い出した。十一年前にウクライナで家庭教師をして十六歳の高校生に週二回、日本語を教えていた。その子は当時まだぽっちゃりした顔の子どもだったが、大変な勉強家だった。彼女はアメリカ留学という夢を持っていた。日本語は趣味で勉強していた。けれど、夢を持っていてもまだ十六歳だし、アメリカは遠い国だし、留学はなかなか難しいだろうと私は思っていた。その二年後に私が日本の大学院に留学してからは、彼女に会うことはなかった。先週、エレベーターに乗るまでは。
 彼女は私が日本に来た三か月後にアメリカの高校に留学することができた。それからアメリカの大学に進んで卒業して、短期留学で東京の大学にやって来ていたのだ。話を聞いてとても感心した。決断力がある優秀な人だと思った。だが彼女は、わたしに出逢ったことで留学する決心がついたと話してくれた。それを聞いてとても嬉しかった。こういうふうに、自分で気づかないうちに、他の人の人生に影響を与えているんだと思った。とても不思議な再会だった。
 あらためて、「出逢い」はなんとすばらしいものと考えた。

つまづいたって  いいじゃないか  にんげんだもの
―相田 みつを(「にんげんだもの」 より)