キリスト者の希望は暗闇に輝く明けの明星です。

聖書を開いてみましょう。聖書の一番後ろに黙示録という巻があります。黙示録には、二か所に「明けの明星」という言葉が使われています。

黙示録2:28
28 また、彼に明けの明星を与えよう。
黙示録22:16
16 「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」(新改訳聖書)

英語訳の聖書では「明けの明星」は「モーニングスター」と訳されています。モーニングスターとは明け方に東の方に見える明星のこと。すなわち金星のことです。金星は地球から見える星の中で、太陽、月を除いて最も明るく見える星ですから、その明るさから、「明けの明星」「宵の明星」「一番星」と呼ばれることがあります。直訳すれば「明るい星」ということなのですが、翻訳者が解釈をいれて「モーニングスター」「明けの明星」と訳したのでしょう。よい訳であると思います。

キリスト者の希望は、暗闇が私たちを圧倒し、絶望の淵に沈みつつあるときに、それは力を与えてくれます。

希望の聖書的なイメージは、「明けの明星」です。しばしば「明けの明星」は、夜中の二時から三時の間、あたりが完全に暗く、朝の兆しがまだ少しも現れていない時に姿を現す。その星は消えそうなくらい小さく、垂れ込める暗闇に打ち克つことはできないように見える。しかし、明けの明星を見ると、暗闇は打ち破られたことがわかるのです。明けの明星の後には朝が来るからである。

これと同じ確かさで、イエスの後には彼の王国が来る。「私は・・・・明けの明星である。」これは、私たちに対するイエスの最後の言葉であり、聖書の最後の個所に書かれています。 

キリスト者の希望は、現代社会の状況から私たちを切り離すというよりは、むしろ結び合わせるものです。「繁栄という名の偶像」と「偽りのイデオロギー」を打ち捨てよと、私たち全員に呼びかけられていますが、最初の一歩を踏み出す困難さは、一定ではありません。しかし、敢えて最初の一歩を踏み出すことが、内在する希望に応える者たちの遺つの選択なのです。